チンクエチェントの思い出 ~出会い編~ |
自動車について、さほど造詣は深くはないのだけれど、FIAT500への愛着は心に根差すものがある。 あるいは郷愁の念かもしれない。
高校を卒業して、料理の道を志し始めた18~19歳の頃、
昼は大学、夜は調理学校(夜間)に通い、やたらアグレッシヴに生き急いでいたし、さらに土日はフランス料理店の厨房で見習いと、若いなりに必死でした。
運転免許を取るため、高校時代にアルバイトで貯めたお金は調理学校の入学金に。早朝のコーヒー屋で働いたり、大学の奨学金を運用したり(親不孝)と、なんとかやりくりはしつつ、車のことは頭になかった青春だったなぁ、と。
実際、運転免許を取得したのは25歳のときです。そして今は、どうにかニューFIAT500には乗ることは叶っています。
なぜか高校時代からイタリアに惹かれつつあった僕は、当然FIAT500を知っていたし、お決まりだけど『カリオストロ』が好きで、グンゼのプラモなんかも持っていた。
―そして縁は異なものなのだけど、
先述の、土日に見習いをさせてもらっていた店のシェフの愛車が、なんと黄色のフィアットだったのだから運命だなぁ・・
シェフは通勤でも日頃500に乗ってたので、仕事帰りはいつも駅まで送ってくれた。
今思えばこそ、微笑ましくも夢のような話なのだけど、おそらく今までの人生で最も僕を叱ってくれた人なので、(※感謝していますよ♪)
当時としては、そりゃもう、おっかなくて仕方なかったワケで・・ 憧れのチンクでのドライブを楽しむ余裕なんて全くなかったワケで・・
なんつ~もったいない! と今さら悔やむばかりです。(ま、ペーペーの小僧だったからしゃーないな。)
右も左もわからない10代のガキんちょが、現場で満足に動けるハズもなく、まさに烈火の如く(おもにフランス語のスラングで)怒られまくった厨房での時間は、今思い出しても地獄のようだったな、と苦笑いするばかり(笑)しかも小さな厨房で2人きりのマンツーだったし・・
だけど、仕事が終わって500で送ってくれる頃には運転席のシェフの横顔に、鬼の形相はやや影をひそめていたものです。
お店を辞める時、町田駅まで送ってもらった最後の別れ際で、チンクエチェントから降りる僕に無口なIシェフがポツリと
「(今まで)助かったよ」
と言ってくれたのは、忘れられない、ホントに数少ない褒め言葉のひとつです。(ちなみにもう一つあって、「(賄いが)まぁ、だいぶ食えるようにはなってきたな」です。)
そんな見習い小僧も、もう当時のシェフと同じ歳になりました。FIAT500(ニューだけど)にも乗ってます。
こりゃあ、いずれは旧チンクも買うしかないな・・